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 ● 彼らはなぜ「緑色」を選んだのだろうか・・・???

 ほとんどの植物の菓っぱは緑色をしている。そんなことはあまりにも当たり前すぎて、以前はな〜んも気にならなかった。毎日空気を吸いながら、空気の存在そのものを忘れてしまっているように。私がこの世に生まれるずっとずっとず〜と以前からそうだったはずだし、私が神に召さ叫た後もやっばりず〜とそうだろうと思う。

 数年前、新潟大学農李部が主催する「地域交流サテライト実習」にボランティア講師として参加した際、学生さん達に質問したことがある。「植物の葉っぱは、なぜ緑色なの?」と。
「ハイ!葉緑素があるからで〜す!!」
オイオイ!そんな中学生でも番えられるような質問を、失礼ながら農学部の学生さんに対してするはずが無いでしょう。「緑に見える理由」を問うているのではなく、「植物達が緑色を選んだ理由」を問うているつもりなんだけど・・・な。
人間が認識できる基本的な色だけでも6色(紫・青・緑・黄,橙・赤)もある。原始の植物が地球上に初めて登場した時には、赤でも黄色でも紫でも、何色でも選べたはずなのに、なぜに「世界中の植物達は、申し合わせたように緑色を選んだ」のか・・・。これが何とも摩詞不思議??? 他の選択肢は考えなかったのかい?

 少し固い話をしましょう。
 我々の周囲には、さまざまな波長(振動数)の電磁波が飛び交っている。光は電磁波の1種であって、人に見える電磁波(可視光)は概ね380nm〜780nmと極めてせまく、波長の短い方から、紫・青・緑・黄・橙・赤と呼ばれている。(6色だけど虹の七色だそうな。)
 我々に物体が見えるメカニズムを考えてみると;物体に光(電磁波)が照射されると、その一部は物体に吸収され、一部は透過し、一部は反射する。物体から反射された電磁波のうちの可視光だけが我々には見えることになる。吸収された分は絶対に見えない。

次は、色について;
 色というものは、エネルギーが目に入り、大脳にその刺激が伝えられた時に生じる「感覚」であるそうな。そのような感覚を生じさせるエネルギーへの1つの形態が光なのである。我々の周囲にある物体は全て、それぞれの色を持っている。それはその物体が、それぞれの色の可視光を反射あるいは透過させることを意味する。例えば、赤く見えるチューリップの花には、大脳に赤いという感覚を生じさせるエネルギーをもつ光を反射あるいは透過し、他の色を感じさせる光は吸収するという性質を持つ。

 植物の葉が緑なのは、「葉が緑色の光を反射あるいは透過し、他の色の光を吸収している」という理由による。つまり、葉は緑色の光をあまり必要としないということである。光のエネルギーを取り入れて糖を生産(光合成)するのに、緑色の波長領域のエネルギーを捨てた・・・ことを意味している。

 ところが・‥である。(私の記憶に間違いが無ければ、ここが重要!!)
 地球に届く太陽光の強さと波長との関係を見ると、緑色の光に強さのピークがあるらしい。最強の緑色光を使えば、例え曇天の日でも光合成が可能となるんじゃないか? その方が明らかに効率的ではないか。光のエネルギーを利用して光合成を行う植物が、最も強い光を吸収しないで捨てる。そういうメカニズムになっている植物達って、一体なんでや
ねん!?!
 なんでそんな非効率的で訳のわからん選択をする のだろう? 単に、神様の御戯れかな???

 数億年も前に植物が誕生してから、ずっとずっと緑で来たのだろう。だから、緑であることが何か非常に重要な合理性を持っているはず。
 そして植物達が選択して来たその合理性は、強いエネルギーの光を捨てて相対的に低いエネルギー利用を選択することの意味を納得させるだけの説得力を持っているはずである。
 (どなたか、知っている人がいたら是非教えて下さい!!!)

 植物達と付き合いはじめてから35年もの時間が流れてしまいました。
その間、ほとんど毎日目にしている彼らが「緑色」であることに対し、ほとんど意識をしなかった。ところがある日、ふと気になり出すと多いに気になり、その疑問を捨てられなくなってしまう。35年も見続けて来ながら、そんな基本的なことすら解っていなかったのだなあ〜と、かなり凹んでいます。
 彼らが緑である理由はいまだに解りませんが、自分の無知さ加減は身にしみて解りました。
 願わくば、「なあ〜るほど!!!」と納得してから神に召されたいと思います。

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